謙虚になりたい
今年は謙虚に生きようと強く思う。
でも謙虚といっても弱気とかそういうのじゃない。
へこへこしたりするのじゃない。
一歩引くのでもない。
謙虚であるうえで一番大切なポイントは「自分をえらいと思わない」。
これに尽きる。
自分は自分で言うのもなんだけど、すごく自信家だ。
それも根拠のない自信が多い。
でも、基本的には自信がない。
矛盾しているようだけど、実際そうなのだ。
自信家なんだけど、基本的には自信のないやつなのだ。
だからその裏返しで、自分を根拠なく信じている。
信じすぎている。
自分がやることは人より優れていて、人は自分に尽くすべきだし、自分のことをすごいと思うべきだし、少しでもメリットを与えてくれるべきだと本気で思っている。
でもそれは自信のなさの表れなのだと思う。
無意識にそうなってしまっている。
自分を守るために。
これに気づいたのは、先日嫁の運転でガソリンスタンドに行ったとき。
セルフのスタンドで全部空いていたのだけど、僕は助手席から見てて一番手前に停めるんだろうなと思っていた。
だが嫁は手前ではなくひとつ奥に停めた。
まあ停めやすいとか彼女なりの理由があったにちがいない。
僕はそれを見て強く言った。
「そこちゃうやろ。よくわからんわ」
彼女からしたら何をそんなに怒ってるのかわからない。
「何をそんなに怒られてるんかよくわからんし!」
その後、口をきかなかったのは言うまでもない。
自分の言うことは聞くべきだし、相手をコントロールできると信じていた。
なので、自分を偉いと思わないが今年の目標。
ただしこれは一歩間違えば、自分を卑下したり、極端に自信がなくなったりする危険性もある。
ただでさえ本来は自信のないやつなのだから、そっち方面に副作用が働いてしまうことは十分考えられる。
そこはくれぐれも注意したい。
あくまで自分がいう謙虚とは
・相手をすごいと思える。称えられる。
・自分はまだまだ発展途上だと思う。
・自分はダメなやつではないが、今はまだ努力している立場であることを意識する。
・子ども、家族、年下年上関係なく、立場としては自分と同じ。平等であることを意識する。上から目線でみない。でも極端に下から見る必要もない。
そんなバランスのことをいう。
多分だけどこの意識を持てると、ちょっとのことでは怒らなくなると思う。
あと自分に期待しすぎていない分、失敗してもそこまで落ち込まない。
「まだまだなんだ」と自覚し、さらに努力を続けられる気がする。
謙虚、謙虚、謙虚。
今の自分に必要なのは、きっと謙虚さだ。
甲本ヒロトも例外ではなかった。ちゃんと与えていた。
甲本ヒロトって知ってだろ。
そう、ブルーハーツで有名なあの人だよ。お前好きだもんな。今はクロマニヨンズだっけ?いまだに現役だなんて信じらんねーよな。
あのな。ヒロトはさ、デビューした最初は「人にやさしく」とかみたいな、応援ソング的なものをパンクサウンドに乗せて、まあそれがめっちゃ受けて売れていったんだよ。
でも、知ってる人は知ってると思うが、いつしかそういった応援歌的な歌詞は影をひそめて、どんどんシュールな方向にいっちゃったんだよな。
まあシュールって言っても何言ってんのか分かんねー、みたいなめちゃくちゃじゃなくて、めっちゃ計算された文学的な歌詞ってことなんだけどな。
それはブルーハーツ後期から特に顕著で、その後解散してハイロウズになってからはもうそういった方向が完全に主流になったんだよな。
で、それまでファンだった人はちょっと戸惑ったと思うんだよな。
応援歌的なものを求めていた人は、ちょっと何言ってんのかわからない状態になって。
まあ俺もそのうちの一人なんだけど、まあハイロウズはブルーハーツよりサウンド的にはめっちゃかっこいいので全然OKだったんだけど、頭の片隅でずっと思ってたんだよ。
「どれが本当のヒロトなんだ?」ってな。お前、わかるか?
自分なりに、一応結論付けてたのはだな、まあ最初はそういう手法をあえて狙っていたってことにしてたんだよな。
つまりそれまでパンクロックなんてのは尖ってて、世の中くだらねーとか、ファックオフ!とか、政治がーとか、そんなアウトローのイメージだったものに、あえて応援ソング的なものを歌詞にして歌にしたらインパクトあるんじゃね?みたいなね。
ヒロトはそういうのを狙って戦略的にやってたんだろな、なんてそう思ってた。
だから「がんばれー」みたいなのは一種のスタンスというかポーズで、まあウソまでとは言わないが、そこまでヒロトの本音に近いものではないだろうって思ってた。
でも最近思うのは、実はそのブルーハーツの最初の方に歌ってた「がんばれー!」的なものこそが、ヒロトの本音、もっといえばヒロトそのものなんじゃない?ってこと。
・・・もう分かるよな。ここで散々言ってきたもんな?
そう、ヒロトもめちゃくちゃ与えてたんだよ。
世の中の元気ないやつらに対して「がんばれー」って元気づけることで、いろんな人を救ってたんだよ。だから成功してんだよ。最初からそっちが本音だったんだよ。またお前、だまされてたんだよ。
きっと途中で恥ずかしくなったんだろうな。
世間のイメージがそっち方向にふれすぎたってのも嫌になった理由なのかもしれない。
だからどんどんヒロトは自分を隠すというか、本音を探られたくないってなって、文学的なシュールな方向にいっちゃったんじゃなかろうか。
何が言いたかったかっていうと、まあお前も早く与えられるようになれればいいなって話だな。
ヒロトも例外ではなかった。与えたからこそ受け入れられた。今のお前ならもう分かるだろ?
文章を書いて金の卵を産め
文章を書くっていうのはほんと大発明だと思わないか?
自分が思っている事を資格化するってほんと大事だと思わないか?
そうすることで自分のことがどんどん分かるようになる。
思っていることをどんどん文章に乗せられるようになる。
人間はなにげなく文章を書いているように見えるが、本来はめっちゃ高度なことなんだと思うぜ。
今はマインドマップなんてのがあるようだな。
自分の思考を目に見える形で整理できるってやつ。
あれなんかいいと思うぜ。
現実ではコミュ障でも、口下手でも、文章を書かせると途端にいきいきし出すやついるだろ?そう、お前みたいなさ。
そういうやつは、そういう世界で成功すればいいんだよ。
無理に人と関わったり、自分を偽って積極的になったりなんて本来できないことしてもしんどいだけだろ。
俺には文章を書くってスキルがある。それで十分だと思うぜ。それで食って行って、家族や周りや社会を幸せにすることができたらほんと言うことないよな。てかお前、それ目指してんだよな。
話すように文章を書けるようになるとしめたもの。
そのためには、前回も書いたようにどんどん書け。思ったことを書け。覚えたことやひらめいたことをどんどん書きなぐれ。思考のお通じを良くするんだ。
今はお前、それ何年前のうんこだよってくらい思考をためてんだろ。
とりあえずそれを腐ったまんまでいいから出して、そこからクリーンなうんこ、いや金の卵を産んでいけ。
いや、産んでいけるようになるさ。
俺が言ってやる
でっかい声で言ってやる
がんばれって言ってやる
聞こえるかい?
がんばれー!
ブログは腐ったインプットを全て吐き出してからが本当の勝負
ふと思ったが、お前はどうも出し惜しみする傾向があるようだな。
もったいぶってないか?いや、いろんなことをだよ。
例えばだな、お前が書いているブログあるだろ。
書くネタってもっといろいろあると思うんだよな。
ネタ切れと思ってても、本当はもっとあるんだよ。あるよな?
本当あるのに、とっておきのネタがあるのに、もったいないから後回しにしてるんじゃないのかな?
人に教えるのはもったいないって思ってるんじゃないのかな?
そんなんじゃだめだ。
この前も言った通り、自分から与えない限りお前は絶対成功しないぞ。
あとお前はインプットはよくするけど、アウトプットがどうも苦手のようだな。
頭の中でいろんな情報が混雑してて、アウトプットがままならない状態。あんまりほっとくとよくないぞ、それ。
いや、もったいぶる気持ちも分からなくはない。
その深層心理ってのを考えたことはないか?
教えてやろう。それはずばり、恐れだ。
ネタが切れて何も書く事がなくなってしまうことへの恐れだ。
あと自分と言う人間をさらけ出してしまうことへの恐れだ。
その恐れを克服しない限り、お前は成功しないだろう。わかるか?
極論をいうと、雑記ブログなんてのはネタが切れてからが本当の勝負なんだ。
最初はそれまでの自分に蓄積された知識とか経験で書きやすいだろう。
ある程度は、価値のある記事も書けるだろう。
でも、それらのこれまでインプットしてきたものを全て出し切ってからが本当の勝負なんだよな。
というか、お前はインプットばかりし過ぎて、頭の中で腐ってんだよ。使い物にならねーものもたくさんあるじゃないか。
それも全て吐き出せ。頭を空にしろ。ドロドロしたまんまでいい。腐っててもいい。お前はまず腐ったインプットを全て出し切ることに専念しろ。
そうして空っぽになって初めて、お前はブログというものに正面から向き合うことができるだろう。
今はまだ、どことなくあぐらを書いているというか、心のどこかでは余裕があるんだよ。俺には経験、知識があるんだ、まだまだ記事なんてスラスラかけるんだってな。
でもな、何度でも言うけど腐ってんだよ。頭の中のインプットが。わかるよな?
それをまず吐き出せ。全部。ぶちまけろ。どうせほとんど誰も見てないから。
コツをひとつ教えておくと、思ったことはとりあえず書きなぐれ。
それは本家のブログの方でもいいし、難しければこっちでどんどん書け。
食べたら出す。それと同じ。
インプットしたら、何かひらめいたら、パッと書く。ツイッターでもいい。そういう意味ではほんと今は便利だよなあ。
それを繰り返していくうちに、自分の思っていることや考えをまとめながら書くことができるようになる。自分でも信じられないくらいスラスラ書ける。お通じがいいってのはこのことだ。
そうすれば本家ブログの方でも記事を書くのがすごく捗るようになるだろう。
今はまだ何かつっかえているというか、便秘気味というか。何が言いたいのか、わかるだろ?
そうしてクリーンな状態が当たり前になったお前は、新鮮なアウトプットをするために、貪欲にインプットし続けるだろう。だってお前、いろんな本とかネットとかで知識を貯めるのは得意じゃないか。だろ?
だから恐れることは何もない。
全てのインプットが無くなった後に何が始まるか?
それはお前、新しいインプットが始まるだけだよ。
与えるものは与えられる
気づけば3ヶ月ぶりのはてなブログだ。
別にブログアフィリエイトをさぼってたわけじゃない。
そっちはそっちで書いていた。稼ぐために。
現在約60記事ある。
100記事まであと40か。まだまだ長いな。
てかこの分だと、100で燃え尽きてしまうかもしれないな。
まてまて、100記事書くのが別に目的じゃないだろ?
自分の目的は実に明確だ。
それはネットビジネスで食っていくことだ。そういったスキルを身に着けることだ。
普通より少し豊かな生活をすることだ。家族や周りの人たちを幸せにすることだ。
それを40歳までに必ず実現する。
まあ別にお金が全てだとは思ってないが、お金があれば余裕も生まれる。
特に自分は昔からその傾向があり、お金がない若いときなんて心は荒んでたよ。いいアイデアなんて出やしないよ。
お金があれば余裕が生まれる。
余裕があれば心が穏やかで暮らせる。
穏やかで暮らせれば笑顔が増える。
笑顔が増えれば周りもいい気分になる。
なにが笑顔笑顔だ、きもちわりーだと?
偽善ぶるなよこのひょっとこ野郎だと?
キレイごとで飯が食えりゃ苦労しねーんだよ、だと?
あのな、ひとつ言っておくとだな、適当で尖ってて成功してるように見える人もだな、心では人に幸せや豊かさを与えたいって思ってんだよ。
自分では意識してなくてもだな、心の奥底ではそういった「他社のため」って目的があるんだよ。
その見た目のクールさとかスマートさに騙されてだな、そうか尖れば成功できるんだ、夢とか希望とか笑顔とか豊かさとかそんな生やさしいものはビジネスじゃ関係ないんだ、なんて完全に目的が「お金を稼ぐこと」のみにフォーカスされちまった奴は必ず失敗するよ。
表面的なものや分かりやすい手法を追っかけてもダメなんだよ。
それに早く気づかなきゃダメなんだよ。
まあ成功者だって最初からそんな与えるなんて思ってたとは限らないよ。
最初はお前のように金稼いで周りにチヤホヤされたい、周りを見返したい、酒池肉林を味わいたいなんて、自分の満足のためだけに頑張ったなんてのはよくある話だし。
でもな、途中からやっぱり考えるんだよな。稼ぎ始めたら、自分の周りから幸せにしていきたいなって。もっと成功すると今度は社会貢献したいってな。あれ、きれいごとで言ってんじゃないんだぜ。
最初からそういったことを目的にするのか、途中から気づくの違いはあるけども、どうせ途中から気づくのなら最初から与える人間になっといたほうが成功も確実になるんじゃね?って話だな。
与える人は、与えられる。
これが成功するカギなんだよ。
誰も教えてくれないよ。
みんな恥ずかしいんだよ、そんなこと。
照れ隠しで尖ってるように見せてるんだよ。それに騙されてんだよ、お前は。
それこそが、表面的なことばかり見るなって俺がいつも言ってる理由なんだよな。
やだ、与えてもらわないとやっぱり与えられないよ。損したくないもん。
俺も与えたくなくて与えないんじゃないんだよ。与えられないから、与えないだけなんだよ。
気持ちは分かる。
でもな、そんなことじゃいつまでたってもお前はそのままだよ。
まずは自分が変われよ。
自分が変われば世界が変わるって本当なんだぜ。
なにも自分が変わったからといって、為替が動くとか、国境がなくなるとか、戦争がなくなるとか、そういうことじゃないんだよ。見える世界が変わるってことだよ。
同じものや景色を見てるはずなのに、まったく違う気持ちになるってことだよ。
最初は与えられることを目的にして与えてもいいと思うよ。
でもさ、途中で分かるよきっと。
与えることの気持ちよさみたいなものをさ。
そうなったらしめたもので、どんどん自分から周りに与えていけばいい。
愛を投げまくればいい。幸せの無限ループ。今はまだお前、不幸の無限ループじゃないか。
そうすりゃ気づけばお前の周りにはいろんな豊かなものが集まってるだろうさ。
与えるって、そんな難しく考えることはないぜ。
誰もお前に1万円寄付とか海外ボランティア活動とか望んでないよ。
ほんと些細なことでいいんだよ。
例えば荷物を届けてくれた宅配便の人に一言いうんだよ。
「雨の中ご苦労様です」ってな。
ほんと、さりげない一言だけど、言われた方は悪い気分はしないよな。
1ミリでも「よし、がんばろう」って思ってくれたらお前、もう与えてるんだよ。
あんまりオカルト的なことは言いたくないが、正のエネルギーを世の中に対して与えてんだよ。それが絶対、必ずお前の所に返ってくるんだよ。これは科学的な法則なんだよな。
その証拠にお前、今は負のエネルギーが返ってきまくってるんじゃないのか?
その法則に早く気づくべきだな。
あと直感は大事にした方がいい。
これはまた今度書く。
■
今日は時間がないので短く。
最近、ブログが書けない。いや、ここのブログじゃない。ここのはすらすらかける。なぜなら適当だから。
メインのアドセンス貼ってる方が書けないのだ。なぜか。スランプか。
9月3日から書き始めてから2か月が経とうとしている。
その間、2回ほどプチバズった感がある。
ひとつは横田議員の秘書がスパイではないか?という記事。
もうひとつは「めいとこねこバス」の記事。
どちらもそれまででは考えられないくらいのPVがあった。それに伴いアドセンスの収益も上がった。現在は200円ちょっとだ。すごい!
あとアマゾンアソシエイトも少し貼ってるが、そっちも13円の収益があった。
しかしこれは自分の分ではないか?と少し疑っている。
いや、でもどうなんだろう?確かに自分でアフィリンクを踏んだ。
それはPCから見てるときだ。しかしその後、自分は何も買っていない、PCでは。
その日、スマホからアマゾンで商品は買った。これ、関係ないよね?
いやでも両方ともクロムだし、同期させてるし、どうなんだろうか。やっぱあの13円は自分で踏んだやつか。
でも自分で買った商品の値段と、紹介料率が合わない気がするんだが、なんなんだろう。やっぱ誰か買ってくれたのかな?そうだといいなー。
で、何が言いたいかというと、こういったビギナーズラックがちょっと前に続いたものだから、今の現状を見てやる気をなくしている。多分、自分は今そういう状態なんだ。これが言いたかった。なまじビギナーズラックを早くから経験してしまった。そのため、その後に訪れる「ふつうの状態」がすごくむなしく感じてしまっているのだ。
焦ってもいけない。けどなまけてもいられない。
文を短くすると文章はぐっと読みやすくなる。同時に書きやすくもなる。
あとこれ書いとこ。
文章はひとつひとつの文が短い方が読みやすい。
内容にもよると思うけど、自分には合ってる気がする。
今までだらだら続け過ぎてた気がする。
これは初期の町田康さんの影響だろう。あの文体かっこよすぎる。自分も無意識に出てたんやろなー。
今日は晴れている、かといって晴天ではなく雲が所々あるっちゃあるんだけども、昨日会ったできごと、すなわち妻とのことなんだけども、誕生日プレゼントに前から欲しかった自転車をプレゼントしてくれて気分がとても晴れやかなので、必要以上に天気も晴れているように感じられていて、まあ要するに気分が晴れ晴れとしていてうきうき足取りも軽やかなのである。
これ、これ。この感じ。まあ完全に文学小説向けやね。
これを基準に自分はブログ書いてた。そりゃ収拾がつかなくわけだわ(笑)
それに気づくきっかけとなったのは上田啓太って人の「真顔日記」。
なんでも、糸井重里氏もこのブログを愛読しているとか。
とにかくすっきり読みやすい。なんでだろー?って考えてたら気づいてしまった。
ひとつひとつの文が短い。それでこのリズム感が出るんだ。これぱくろ!!
それ以来、自分の文は短い。
この記事もそこをめっちゃ意識して書いてる。
後から読んでも読みやすいに違いない。
いいとこに気付いたなー、おれ!
成長していってるなー、おれ!
P.S アドセンスが200円超えました。ついでにアマゾンも13円成果でてたぞー!